成熟した観衆向けか、未成熟なその他大勢を惹き付けたいのか
クラシック音楽の話から離れるようですが、先日YouTubeで、上岡龍太郎氏が芸人論という題目で語っている映像を発見致しまして、これがなかなか面白いなと。YouTubeで、「上岡龍太郎 芸人論」で検索すれば見つかると思います。
さて、上岡氏がどんな話をしているか・・・いつもの氏一流の語り口のおよそ10分の映像。噺家・漫才師などのいわゆる芸人の話で、大体骨子はこんなところでしょう。
- かつては寄席が芸人の舞台であったが、1960代以降TVが登場し、芸人の世界にも大きな変化が生じた。
- 例えば、かつての寄席の時代では、名人は寄席だけで食べられる人間だった。そして、そんな者は希なので名人は崇められた。名人は表に出てこず楽屋にひっこんでいるのがたいがいで、周りの者にとりとめのない話を聞かせているようで、その中に芸の教えがまじえてあった。年功序列なり人気順に並んだ後輩、若手は名人を囲んで熱心にその話を聞いたものだった。楽屋は修行の場であった。
- しかし、TVの時代では、次から次へと番組に出れば、若手であっても寵児として扱われる。収入も楽屋に引き込む名人を越すほどになった。
- 芸の質も変わった。当初のTVは寄席の芸を映していただけだが、その内にTVで受ける芸というものが隆盛となった。寄席の芸は、演じ手とお客さんの間で空気を揺り動かす芸である。かっこたる訓練を重ねてものにした話術である。対して、TVで受けるのは素人芸である。年寄りは、素人芸を身につけ難いが、若手はみごとにその流れに乗じた。
- かつての芸は、上品だけど、洗練されていて無駄がなく、インパクトに乏しいが、持続力がある。いまのTV受けする素人芸は、無駄が合って、その分リアルに見え・聞こえ、インパクトがあるが持続力がない。
- ここで芸人はどちらの道を取るか、悩むのである。TVは、結局、素人の芸を見せるか、さもなければ、プロが私生活を語る場となってしまった。いいかえればドキュメントがそのままが一番面白い、という価値観だ。
- とは言え、TVとしての話芸が洗練されてくれば、かつての寄席の芸と一致してくるものもあるのではないか。そこに希望をもつほかあるまい・・・
人によって異論もあるでしょうが、あれこれ考えさせられるなかなか面白い話でした。このエントリー冒頭に写真を載せた『上岡龍太郎かく語りき―私の上方芸能史 』(ちくま文庫) に、この話が載っているかどうか中身を確かめておりませんので、その点、ご留意のほどを。
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こんな話を聞くと、ついついTVが悪い、と言ってすませてしまいますが、ほんとうにそうなのか考えをすすめることができます。
TVは不特定多数の視聴者にアプローチするメディアである。つまり、とある分野に興味のない人にまで広くアクセスしやすいものである。TVの聴衆は素人なのだ。だからこそ、インパクト重視になってしまう。視聴者は、いまこの瞬間に「つまらない」と感じたら、チャンネルを変えてしまう。寄席にお金を払って行った人は、そうそう寄席から帰らないものだ。寄席ならば、じわじわと理解することが期待できるのだが・・・。そう考えると、根幹は
- 出来る限りたくさんの人々に
- 手早くウケる
- その方が手っ取り早く儲かる
という仕組みが問題なのでしょうか。
この話は、メディアの変遷による芸の質の変化というならば、クラシック音楽であれば、1920年代以降のレコード時代の到来による変化が考え合わせられます。*1
こう考えてみると、またいろいろ想像が広がって、今現在、音の強弱、テンポの緩急に派手な対比がある演奏がもてはやされたり、やたらと主情的にうっとりと思い入れをたっぷり込めた”楽譜からも自由”な演奏がもてはやされるとしたら、それは門外漢にも受けやすいからではないか・・・
スポーツ中継でも、とある選手の周辺の状況はもちろん、その選手自身の体全体の動きさえ映されず、顔のアップが目立ちます。とある選手のドキュメントを見ても、聞こえてくるものは多分にドラマ化された人生讃歌だったり、それこそたわいのない私生活のなんだったり・・・。音楽でも、演奏家や作曲家に関する、誰にでも理解しやすい人生ドラマの喧伝が、マーケティングの一手法としてすっかりなじんでおります。
ものを知らない人からさーーっとお金を集めた方が儲かってしまう短期的なビジネスのまわし方となると、20世紀のマスメディアの登場に限らず、19世紀に中産階級にマーケットが広がった頃から問題は生じたのでしょう。経済問題なんてどの時代も骨格は変わらないだろうから、18世紀だって似たようなものを見つけられるかも知れない。どの時代でも、うさんくさくミステリアスで、スキャンダルを抱えた人が、一時的には人気を集めるものですし・・・
過度の商業主義が、ニッチなマーケットも押しつぶしてしまうように見えますが、今でもニッチなマーケットで“本物”は守られていればそれで良いのか・・・。クラシック音楽で言えば、欧州のような本場と日本とでは、いろいろ事情が違うことでしょう。人気がなくても、本物が生きのびることができるならまだ希望は持てる・・・
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やわな想像をすると話は膨らみすぎてしまいますが、このあたりの話は、ここ最近の三つの記事で紹介した書籍
のほかにも、私が読んだものでも例えば、
『音楽史の形成とメディア 』
大崎滋生 著
平凡社選書
354頁 *2
『ピアニスト その人生 』
園田高弘 著
春秋社
284頁 *3
自伝『ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯』
ビルギット・ニルソン 著
春秋社
501頁*4
などなど、それぞれ陰に陽に、興味深い事実・視点をもたらしてくれるものと思います。ご興味あればぜひどうぞ。
本日はこの辺りで。では!
*1:TVがでてきてからの変化は、「玄人向けのややこしい音楽」としてクラシック音楽は衰退し、ポップス主流の時代となったということでしょうか?
*2:この書籍、内容の紹介が難しいですが、リンク先のAmazon頁の商品紹介がよくできてますのでご参照のほどを。
*3:ヨーロッパで修業し、プロとしてもヨーロッパで生活した園田高弘。数々の演奏家の思い出や、日本帰国後にかかわった音楽コンクールや公開レッスンの話を通じて、自分が信ずる音楽とその伝承・育成方法を語っております。
*4:ニルソンの自伝ですが、大変ユーモラスな語り口で、楽しく気軽に読めることうけあいです。本人が相当なスター歌手だっただけに、スター指揮者の共演も多数。思い出話のなかで、スターの虚像がはがされたりなんなり・・・