いろいろと考えさせられる本でした 2 of 3:アルトゥール・シュナーベル 著『わが生涯と音楽』

アルトゥール・シュナーベル 著『わが生涯と音楽』のAmazonの商品頁を開くちょっと間があきましたが、前回は、戦後の日本のクラシック音楽界に、海外の著名な演奏家の招聘および国内の若手の育成にも貢献したジャパンアーツの 中藤 泰雄 著『音楽を仕事にして 日本の聴衆に、この感動を伝えたい』をご紹介しながら、21世紀になるとさすがにいままでのような唯一無二のスター信仰というスタイルも変化せざるを得ないのではないか・・・などと書きました。

では、音楽のライフスタイルは昔からそんなものだったのか、いまだに続く「この人が世界一!」といったスター信仰などはいつ頃できたのか?私に取って、これについて考えさせた良書が、アルトゥール・シュナーベル 著『わが生涯と音楽』でした。

*****

シュナーベルは1882年生まれのオーストリアのピアニスト。ベートーヴェンソナタ全集を初めて録音した人物として言及されることが多い人物。ラジオやレコードによる複製音楽の大量配信・販売がはじまったのが大体1920年頃ですが*1シュナーベルはその変化をまたいで演奏家として活躍しました。本書の中でも、それ以前とそれ以後で、演奏家・聴衆その他のライフスタイルや考えにどのような変化が起きたのか随所で興味深い考察がなされております。

試みに一つ引用してみますと、

さまざまな国民の生活における音楽の位置は、変化してしまいました。たしかに五、六十年まえに、ここアメリカにおいて音楽の位置は、現在とは違っていたと思いますし、同様の変化はヨーロッパでも生じました。家庭における生きた音楽が−機械的再生と自動車が競争者として現われるとともに−減少したことは、いたるところで同じであったのです。もちろんひとつの相違は、ヨーロッパにおいては古い伝統があったことです。しかしこの国(引用者注:アメリカ)にも、いくつかの伝統があります。オーケストラはかなり古いですし、音楽協会もそうです。しかしこの国と同様にヨーロッパにおいても、公的生活のすべてが変化しました。第一次世界大戦後のラジオと映画と雑誌の影響は、度はずれたものであり、映画にもゆかず、ラジオをきかず、雑誌も読まない人びとにたいしてすら、影響をあたえたのです。私はそれを確信しています。私にたいする影響もありますし、しかも私は、これらの娯楽をめったに楽しむことがない人びとに属しているのです。

前掲書 P.300〜301

この類いの変化は楽器製作・販売においても起きたようです。シュナーベルは、ピアノメーカーのマーケティング事例を紹介しながら、宣伝文句と実際の質に関して持論を述べております。楽器にもまた、大量複製され、大宣伝によって大衆に消費されるスターが登場した。しかし、それはほんとうに誰もが選ぶべき「世界で一番」の質をともなっているのか・・・。*2

ラジオやレコードが普及する以前は、家庭で自ら演奏するのが主流だったとほうぼうで目にすることで、それを聞くとついついその頃の音楽好きはみな立派な音楽的教養を持っていたように想像してしまいますが、シュナーベル曰く、自分が少年時代をすごしたウィーンではそんなことはなかったそうです。ウィーンのひとびとは商業主義的で受け身で流行に左右されやすかったそうで、オーストリアからドイツへ国境をまたいだ時に、ずいぶんまじめにアマチュアが音楽に接しているのに驚いた、と語っております。

ある時期以前は、商業主義的でなかった/それ以降は違うなどと教条的に考えるのはよろしくなく、時代や地域等により、どのていどかはともかく差があったのでしょう。ラジオ・レコードの登場は、商業的で受身で流行に左右されやすいウィーンのような都会の消費社会の傾向を世界全国にくまなく広げたということでしょうか・・・

この書籍、前半が自伝を語る講演録(1945年於 シカゴ大学)、後半がその講演の聴衆とのQ&Aとなっていて、どちらにしても、かなり自由きままに語っておりまして、面白いトピックを抜き出したら切りがありません。

この後半の質疑応答編もまた大変すばらしい内容で、音楽ファンがおちいりやすい通念・思い込みをシュナーベルが解消するといった態ですが、そんなやり取りを一つ二つ引用して・・・

・・・みたいのですが、これが難しい!聴衆の一つ一つの質問に、シュナーベルは、機智・含み・意味の多様性などなどを持たせてかなり本気で回答しておりまして、お互いに「それはどういう意味ですか?」と話が深まり深まり、部分的に引用すると意味が変わってしまうような中身の濃い議論になっております。逃げるようですが、ぜひ本書を手に取ってお楽しみいただければとぞんじます。わたしも半知半解ながらあれこれ音楽書を読んで来ましたが、これほど面白い音楽談義はなかなかないと断言できます。

現在古書でしか手にはいりませんが、古書だとなんとなく敬遠される方も多いでしょうか?口調がちょっと古めかしい上に、ちょっと直訳調な部分もありますが、一読意味がわかりがたい部分もそこを読み直せばわかるという程度のものでしょう。お気になさらずぜひぜひどうぞ!*3

*****

さて、本書を読んだ後には、

アルトゥール・シュナーベル著『わが生涯と音楽』(白水社)の商品写真アルトゥール・シュナーベル著『わが生涯と音楽』
白水社

ちなみに写真がすごいメンバーで、
左からフーバーマン(Vn)、カザルス(Vc)
シュナーベル(Pf)、ヒンデミット(Va)

シュナーベルがどんな演奏したのか気になることでしょう。一番有名なのは、やはり史上初のベートーヴェン ピアノソナタ全集。同じ録音が、MembranのドキュメントシリーズとEMI Referencesシリーズから発売されております。

輸入盤10枚組 アルトゥール・シュナーベル独奏 ベートーヴェン:ピアノソナタ全集 (Membran Document)の商品写真輸入盤10枚組 アルトゥール・シュナーベル独奏
ベートーヴェン:ピアノソナタ全集
Membran Document

輸入盤8枚組 アルトゥール・シュナーベル独奏 ベートーヴェン:ピアノソナタ全集 (EMI References)の商品写真輸入盤8枚組 アルトゥール・シュナーベル独奏
ベートーヴェン:ピアノソナタ全集
EMI References

1932-35年の録音ですから、現代の基準で音質はクリアーとは到底言えません。また、いまのピアニストと比べて、テクニックの弱さが気になるでしょうか・・・そこは、間違いを気にし過ぎるような神経質な時代ではなかったと目をつぶりましょう!過度に主情的で自分の癖を強調し、曲ではなく、演奏家自身を表現することに熱心になるのではなく、楽譜そのものとどう対峙しているかが伝わるのは、シュナーベルに限らず、往年の名演奏家らしいところと思います。*4

上の二つのセットは中身は同じものですが、一応違いがありまして、Membranは第1番ソナタから第32番ソナタまで順番通りに収録して10枚組、EMI は例えばCD1 1,3,4番、CD2 2,5,6,7番とところどころ順序が入れ替わっての8枚組。価格はMembranの方が安価であることがほとんどでしょう。時に変動しますのでご購入の際に念のためご確認ください。

ベートーヴェンだけでは・・・とお感じの方には、EMIからバッハ、モーツァルトベートーヴェンシューベルトも入れた安価な8枚組Boxが発売されております。

輸入盤8枚組 EMI ICON アルトゥール・シュナーベル録音集の商品写真輸入盤8枚組 EMI ICON
アルトゥール・シュナーベル録音集

ピアノ独奏曲だけではなく、モーツァルトならピアノ協奏曲21番とト短調のピアノ四重奏曲、シューベルトピアノ五重奏曲<鱒>も収録。シュナーベルのさまざまな面を知るには便利なセットでしょう。

では、また次回。

*1:スチュアート・ユーウェン著『PR!―世論操作の社会史』の商品写真クラシック音楽とはなれますが、同じく1920年あたりにはじまった広告宣伝の興隆史・その社会的影響を描くこの名著、スチュアート・ユーウェン著『PR!―世論操作の社会史』は、大変面白いものでした。あっちこっちのさまざまな才能をもった人物を地道に知って行くのではなく、みなが画一的に崇めるスターがどう生産・提供されたのか・・・マスメディアの発展を扱うこの書籍からあれこれと想像できます。

*2:一昔前と違って、いまは楽器の選択の幅が増えました。ロマン派の音楽も、作曲当時の楽器を使って、例えば、ショパンならエラール Érard、シューマンならグロトリアンシュタインヴェッグ Grotrian-Steinwegでの演奏など、YouTubeであれこれ見つかります。いまのコンサートグランドピアノとは違いますので、ぜひ聴いてみてください。ちなみにシュナーベルが好んだのはベヒシュタイン Bechsteinとのこと。ご参考まで https://www.youtube.com/watch?v=FsaSzJQrrf0

*3:岡田暁生著『ピアニストになりたい! 19世紀 もうひとつの音楽史』(春秋社)の商品写真シュナーベルが語るのは、19世紀末から20世紀に掛けての変化ですが、それ以前、18世紀から19世紀における音楽需要の変化について、ピアノ教育という視点から語ったのがこちらの書籍 岡田暁生著『ピアニストになりたい! 19世紀 もうひとつの音楽史』(春秋社) あわせておすすめです。

*4:もちろんいま現在でもいないわけではないのですが、癖たっぷりうっとり派でないとメディアに取り上げられるような人気はまずもってでないように見えます・・・